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Fashion,Fine-art,and Forecast.

服飾・美術・予言






















ファストファッションはモードよりも古くて早い――マルジェラ with H&M




なんとなく誤解されていそうなことについて。
http://changefashion.net/blog/ashida/2012/08/19230824.html



 よーし!パパもがんばってブログ書いちゃうぞー!というわけでブログです。



 マルジェラとH&Mのコラボについて、ファッションクラスタのあちらこちらから悲鳴やら怒号やらよくわかんないものまで響いておりましたが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。僕は元気です。そろそろ語っても御意見番に「コラッ」されないと思うので、しみじみと振り返りながら総括したいと思います。

 過去にもハイブランド厨は幾度と無くファストファッションに陵辱されてきたわけですが、今回のこのマルジェラ with H&M、いつもより嬌声が艶っぽかったように感じます。評価が安定しきってハイブラ厨がほめるには格好の安全物件たるマルジェラが汚されてしまい防衛機制やや強めの内角。「あたい汚されちまったよ…」と瞳の輝きを失ったマルジェラさんを抱きしめ共に涙する方や、これはこれでと特殊性癖で乗り切る方、H&Mに群がる人々まで同罪として石打ちかます方など、久しぶりに沸きました。楽しかったです。

 ただ個人的に気になったのが「批評家」と呼ばれる人種たちがファストファッションについて語るときの語調です。
というわけで主にファストファッションの批評的な価値について語ります。まぁないんですが、そんなの。

 マルジェラとH&Mはちょうど対照的なブランドでしょう。一方はハイでモードなブランドの中でもトップなわけですから、しかも思想付き。それに対してH&Mは上流から流れてきたデザインをさっと掠め取るパクリ技法でイケイケファストファッション代表格、思想なんてあってたまるか忘八野郎。自分の国の繊維業すら覚束ない北欧のエコノミック・スヴェ公どもに、ファッションに「いわゆる思想」を求める人の理想形たるマルジェラを汚されたことは、マルジェラのファンのみならずとも明日は我が身と恐れつつ恨みは骨髄、本当のファッション精神とは何かと拳を振り上げる様にはある種の悲痛まで漂う様相。

 しかし、この事態では一つのことが忘れられています。まずファストファッションは決して「ファッション精神」への侵略ではありません。もっと一般的なデザインのパクリにしても、精神の深いところまで萎えさせるような、悪辣な挑戦ではないのです。例えば近代において果たされたサンローランによる新しいファッションのスタンダードは、いったいどのようにしてスタンダード足り得たのか。あるいはもっと原始的に民族衣装やシャツの襟一つをとっても、それらが一時も初めから「オリジナリティー」を保全するために作らたことなどなかったことを、忘れられてしまっています。

 ファッションデザインの究極的目的は何か、それは恐らくこうして「忘れられてしまうこと」にあるのでしょう。優秀なデザインほど歴史的になり、無限に参照されるのです。一般化すればするほどそのスタンダードがいったいいつを起源とするのか不明瞭になります。ジャケットを現在の形にしたのはいったい誰なのか?という問題は個人名ではなく時代としてしか名指しされないのです。また例えばバウハウスはデザインの持つこの究極的目的に近づいたため、バウハウス自体は空気よりも希薄になり、作者と切り離された形でそのデザインだけが全く無自覚に現在まで使われ続けているのです。より原始的にも民族衣装から、いくら独特なデザインであろうと、デザインされた瞬間から伝播され「他人に」着られることが望まれているのです。そうでなければデザインは全く偶発的な自然によるものでしょう。誰か(潜勢的でも)に着られることを意志しないデザインとは全くありえません。

 それではシャネルやサンローランやその他歴史的デザイナーの名誉とは何か。一面では商業的でしょう。一時は市場において「彼らだけ」が販売できていたであろうデザインたちは、スタンダードに近づくほど商業的に量産され希薄化し、そのデザイン自体の商業的価値もまた希薄化し続けるのです。しかしそこで失われないもう一つの価値、それが「アイコン」です。それゆえに現在でも彼らの「アイコン」は特権なのです。初めどんなにオリジナルで革新的であったろうデザインでも、人気を博すほどスタンダードに近づいてしまい市場での独占的な地位は失われ、次第に商業的価値からアイコンとしての記号的な価値に変わっていくのです。

 それでは本論として、ファストファッションとは何か?ここに原型が見られることでしょう。ファストファッション的なオリジナリティーへの冒涜なしに、デザインがその目的を果たすことはありません。特にその規模を大きく求めるほどに。ファストファッションの登場によって何が変わったか?この運動が近代化され、より効率的になりました。根本的には何も変わりはありません。SPA方式のように、より効率的になっただけです。そして伝播のサーキットが整ったためにスタンダード未満としてトレンドが頻発し、多様化もより容易になったはずです。デザインのオリジナリティーとは、外に開かれつつ冒涜されることを初めから、原理的に含んでいるのです。パクられ得ることを条件にオリジナリティーはその存在を記号として主張することが可能になるのです。「ハイファッションとファストファッションの共存」などではなく、根源的にハイファッションの目的はファストファッション的な運動抜きにはありえません。ましてや「共存してもいい」などと言うことは、いったい誰が可能なのでしょうか?

 と、ここで終わらせていいのですがマルジェラ with H&Mには特筆すべき点が一つあります。「過去作品の焼き直し」という点に注目したいと思います。マルジェラのデザインとはデザインの否定でした。厳密に言えば商業的(表層的)デザインの否定であり、コンセプチュアル・アートがそうであるようにある種記号的な表現です。であればマルジェラにとってのあれらアイコン的な作品群はどれも商業的(表層的)なもので、全くマルジェラの精神性にまで冒涜は及んでいないと思うのですが、みなさんどう思いますか?逆にコラボでマルジェラ主導のコンセプチュアルな作品が出てきたのであれば、それは当然マルジェラの功績になるでしょう。そうなるとH&Mが行うコラボとしては、必然的に「焼き直し」が出てくるということは、十分に予測可能だったと思います。予想が当たった方はいらっしゃいますか?