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Fashion,Fine-art,and Forecast.

服飾・美術・予言






















【読書レビュー】ファッション批評誌『vanitas』No.2(旧名:fashionista)とはなんだったのか?後編

『まなざしに介入するファッション  ―「ショー」という観点から―』

「1.ファッション批評は更新できるのか?

本稿は問いを次のように限定する。すなわち「ゼロ年代的以降のデザイナーのクリエーションについて"ポスト鷲田清一"的な作品批評は如何にして可能か?」である。」

  本稿は大変におもしろい。なぜなら筆者は鷲田清一北山晴一を批判するのだ。ファッション批評という時にそれらの名前に触れねばならぬ若きインテリジェンスの悩みがここにある。ただしはじめに言わねばならぬこととして、本稿はとてもつまらない。とりわけラカンとジジェク東浩紀(できるならメルロ=ポンティドゥルーズ、ガタリも)を知らない人間にとっては、とてつもなくつまらないだろう。一応、個人的な感想をはじめに述べるならばとてつもなくおもしろかった。なぜなら僕も一度は鷲田清一の『モードの迷宮』を手に取り頭を悩ませた身である。難解だからではない、意味不明だからである。そうして反論を練ろうと試み、ノートを作ろうとしたこともある。しかし失敗した。なぜなら鷲田清一の論述に一貫性を読み取れなかったのである。それでは批判する意味もなかろうと黙殺することに努めた苦節、本稿が代わりにやってくれているのである。喜ばないわけにはいくまい。ただしそれだけに批判の仕方に不満がある。

 第一に筆者は「90年代型批評」という言葉を使うがこんな言葉、不毛なファッション批評の世界には存在しない。2人か3人ほどの個人名をあげれば十分なだけでムーブメントなんて存在したことがない。よって、そのような型にはめてしまうのは不当だろう。でなければせめて文芸とサブカル批評における「90年代型批評」を指すものとしなければいけない。

そして同様に「ゼロ年代」という言葉も不適切である。実際に個別の批評対象として取り上げるシーズンが「ゼロ年代後半」しかないように、やはりそんなムーブメントはない。あるとしても「ゼロ年代」の呼び名は不当である。

第二に明らかにあるべき『存在論的、郵便的』の書名の不在である。基本アイディアのソースなのだから記すのが親切だろう。それに、本稿の論述よりやはり東浩紀本人の論述の方が読んでいて分かりがよいはずだ。実直に哲学書を引用しているだけにこの一冊が無いのは熱心な読者にとって惜しいように思う。

 ところで本稿の終わりには個別の批評がある。リトゥンアフターワーズ、ミキオサカベ、シアタープロダクツ、ケイスケカンダを筆者の語る視点「まなざし」から論じてゆく形式となっている。そちらの方は"批評的に"おもしろいだろうから、是非とも読んでいただきたい。

ネガティブに見えるかもしれないが、本書中で本稿は個人的にもっとも「ファン」である。よってこれはエールなのだ。人は誰しも傷つけ合うことでしかコミュニケーションのとれないケモノなのである。(歪んだ愛情)

 

リアルクローズ化する「マンガファッション」』

「本論ではこの少女マンガのファッションの3次元化のことを、竹村氏の著書から借りて「マンガファッション」と称し、どのようなものが「マンガファッション」にあたるのか、マンガとファッションはいつ・どのように・なぜ融合していったのか、という2つの問題を解き明かすこと、および「マンガファッション」の定義を明確化することを目的とする。」

   キッチュな論かと思い読んでみると至って真面目な論考となっている。単純におもしろいものだ。おいしいところだけを語ってしまうのは惜しいため、語ることを避けたい。晦渋も衒いもない。そして恐らく今後の批評に繋げるのに『vanitas』内で最も将来の広がりがあるのではないだろうか。

critical essay
『ハトラ ―「中性的なものの」力学―』

「マンガやアニメにおけるパーカーはしばしば現実にはあり得ないほどのヴォリュームをもって描かれているということだ。…それに対して長見は、むしろ現実のフードの方を、虚構のフードに接近させようとする。」

「(90年代以降の日本のファッションにおいて)マンガやアニメからの影響が主にその意匠的な側面に限られていたことを考えれば、そうした意匠に対する長見のすがすがしいまでの距離の取り方」

「今この時代に到来しつつある未来、すなわち男性/女性の止揚の結果としての「中性的」という形容すらも中性化する、新たなセクシュアリティの姿に対する想像力でもあるだろう。」

 今現在、本書を読んだことのある聡い読者は気づいたことだろうが、p194からはじまる本稿を開くと驚かされるだろう。"「中性的なもの」の力学" ではないのだ。そう、これは誤植なのである。この驚きを再現するために当ブログの見出しはこちらに準拠する。

 このご時世でパーカーに血道をあげる異端なブランド、ハトラについて本稿は「二次元と三次元」「部屋性」「中性的(neutral)」「中性的(asexual)」といった視点から論じてゆく。もちろんオタクカルチャーが基点にある。僕のようなデジタルネイティブ世代にとっては「<モード/ファッション>対<オタク/ギーク>」といった図式に古さを感じるだけに、興味深い。そしてファッションにおける性と身体の関係についてもまた、ファッションリテラシーがついたころにはエディ・スリマンのゲイゲイしいスキニーさが流行っていた世代だけにまた興味深いものである。

 だからこそ惜しい点を述べるなら――ここで語られる「性」あるいは「中性的」とは形態的な問題でしかなく、前半部の「二次元と三次元の身体論」と後半部の「asexualな身体論」とでは断絶しているのではないだろうか。

ハトラによる中性化は「ユニセックス」なんてありきたりの方法よりもさらに過激な性の中性化である、というよりもはや「非-性(a-sexual)」ですらあるとするならばやはりそれは形態的な問題である。なにせ本当の「非-性」なんて「止揚」のすえの絶対知と同じくらい到来しないものなのだから。形態的な話に「性」という記号的な話をかぶせることで論点を先取りしてしまっているのではないだろうか。

よって、より正確に記述するならば「中性的、だが女性が着ている」と「中性的、だが男性が着ている」になる。「だが~」以下の省略によって現実の身体の問題はむしろ遠ざかってしまい、広がりの余地を無くしてしまっているように思える。

また、グレー・パーカー・スウェットというよくあるものだからこそ比較はしやすく、中性的な色と素材によってその効果を幾重にも増している、として前半部と後半部は結ばれるがこの楔は弱いのではないか。やはりそれは形態的問題なのだから、二次元の「表現」と三次元の「表現」の実際を取り上げなければ見えてこない問題のように思う。僕が"形式"主義者だからこそ、そう思うのかもしれないが。

「部屋性」というおもしろい観点があるだけに、惜しいように思えた。

『「雲のような場所」を巡って ―ASEEDONCLOUD試論―』

「種とは、未だ形をあらわさない可能性の存在である」「場所とは、人と人とのコミュニケーションの受容器であり、物語の発生装置である」

「イメージが加速度的に消費される現象は特にファッションには顕著に見られる。…グローバリゼーションの波に席巻されるにしたがい、世界はあらゆる地域でその場所固有の価値が失われてきた。」

「場所性を見失ったファッションは、必然的に身体、あるいはより非人称的なイメージの追求へと流れ着く。…前者は80年代コムデギャルソンやヨウジヤマモト、後者は20471120やビューティービースト

「本来ファッション、いうなれば服を着るという行為は、自らの場所を擁護し、他者との共時的な場所/関係を作り出すものであるはずだ」

  単純におもしろくない。恐らく本書で唯一「嫌い」なタイプの批評である。(今までのは全部どちらかというと「好き」でした。愛情表現が下手なのです。あと筆者の名字に対する八つ当たりという線もありません。)

要するに筆者は、ギャルソンやヨウジを着るということはブランドイメージを借りてる個人の自己表現なのではないかと言うわけだが、恐らく否定的な意味で「エゴイスティック」と言っているようだ。そしてなんでブランドイメージを借りるのかというと他人に気を払うからブランドという権威を借りるのであって、本稿の言う「個人」というのは「他人」や「他者性」を意味するのだろう。ではいったい筆者の主張するところの「本来のファッション」はなんなのだろうか。僕には想像すらつかなかった。批評という形での単なるラッダイトもしくは自慰行為かと思えた。批評として最悪である。

と、ここまで貶せばむしろ本書未読の者が読みたくなるのではないかと目論んだステルスマーケティングであることを明かして終わる。

JUNYA SUZUKI / chloma ―ネット以降の時代―』

「「クリエイティブである」ということは必然的に非俗物でありあらゆるものから独立しようとするベクトルを持っていると思う。…個人の想いから生まれるものであるにも関わらず、他者との距離を遠ざけてしまうこともある。」

「実際のところ彼が本当に注目し意識している点はそのカルチャーの中に存在する記号や意味のやりとりだったりその構造だったりする。」

「サブカルチャーの要素で服の色を塗り直しただけというような、決してただのサブカルチャーの伝道師としてのファッションという意味ではないのだ」

  以前から特に注目はまったくしていなかったchlomaですが、本稿を読んでちょっと興味が出てきた。(展示会にも行きますよ)恐らく本書で一番おもしろい批評だろう。

 デザイナー同士の親愛や視点といったなかなか読めないものを得られるだろう。筆者がデザイナーであるからこそのものである。時代を振り返る資料やこれからの視点をより豊かにするのに貴重ではないか。特におもしろかったのが「プラモデル感覚」あるいは「フィギア感」という視点である。

さてそれにしても聡い読者は本稿を読んでいて、きっと一冊の書物を思い浮かべるだろう。そうだね、『日本・現代・美術』だね。著者の椹木はポップを「反映のポップ」と「還元のポップ」に分けて日本の現代美術の状況を論じた名著である。どのくらい名著かというと読んだことのない人間が現代アートを語るならば即時に無学無能無知と陰で叩かれるほどである。

chloma論でもいわば「反映のポップ」と呼ぶべきものは言われているが、果たしてではその対のものは同じ「還元」なのかどうか?確かめることで書評としたい。

その点を探るのに記述を引いてくると「フィギュアを所有しコレクションして集めて楽しむその所有者がフィギュアに対してどのような目線を向けているのか、そういう目線における感覚を服で表現したように想う。」とあり、つまるところ「反映」の対になるものとは感覚や体験、もしくは文化の構造といったものになるのではないか。

表現しているのは「内的な体験」or「文化の構造」のどちらだろうか。もし「文化の構造」なら「還元のポップ」とほとんど見分けがつかない上に、さっきの引用では明らかに前者「目線における感覚」なので、僕はここは前者で読み進めたい。しかしそうなると「体験を反映しているのではないか」という疑念は避けられずどうしても「反映のポップ」と距離をとれなくなってしまう。これは構成的な困難である。

 しかし単に構成的な困難でしかない。良い批評だと手放しで賞賛できる。ここから新たに論を展開することはいくらでも可能だろう。「考えてみたい」とか「今後も楽しみである」などと文末に書くだけで将来性を確保できるかのように勘違いしている論考とはまったく異なる。未読のchlomaファンがもしいるのならファン失格である。僕のような批評的にまったく異なる主義の人間ですらおもしろいと言うのだから、そのくらいのことは信じていただいて結構である。

『Ka na ta の身体を活かす服』

「ここにおけるmediumにはあらゆる身体(大きさ・形・性別など)にとって中立的であるという意味(実際にユニセックスのワンピース等が制作されている)の他に、媒介するもの、という意味が含まれており、環境と身体をつなぐ媒介となり得る服作りが模索されていたと想われる。」

「この絵画において生きた空間をつくりだし、衣はその流動性を留めることなく媒介しているように見える。ここにおける衣と同じように、Kanataのつくる"H2X"も、身体と環境に共有され、それらをつなぐ「水」ととらえられるのではないだろうか。」

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 本稿とはまったく関係のない話をしますが、僕は過去、ファッションにおける「空間色」というのを考えたことがあります。今でも考えていますが。空間色というのは要するにこの本稿も引用する絵において、湯気が袖にかかって何かを透して見ている感じの表現のことです。それで、ファッションにもこうした色彩の分析はあるのだろうかとかつて調べたことがありました。そんな論考見つかりませんでした。どこかの世界にはあるのかもしれませんがひとまず見つからず。もしご存知の方がいたらお知らせください。

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 総評

 『fashionista No.1』と違い、新興ブランドへの言及が増えたように思います。また哲学的な論考も以前よりも出来がよくなっているのではないでしょうか。僕はそういうのが好きなので嬉しいです。距離感というものが間違いなくうまく(もしくは読者側としての距離感が)よくなっていると思うのでfashionistaでいまいちと思った読者諸兄におきましても是非とものご購入をお勧めいたします。少なくとも価格不相応という不満はないかと思います。

 ネガティブに見えるかもしれないですが、『vanitas』の筆者の方々へは親愛の情をもって拝読させていただいております。よってこれはエールなのです。人は誰しも傷つけ合うことでしかコミュニケーションのとれないケモノなのです。(歪んだ愛情)

 

vanitas No.002 (送料無料)

※でもできれば書店で買った方が入荷する書店側が喜んで回り回って編集側の利益になると思うのでそっちを推奨。

https://www.junkudo.co.jp/mj/products/detail.php?product_id=0300000280

 

取扱店一覧(ちゃんと更新してないのかと思ったらしてるっぽい?)

http://fashionista-mag.blogspot.jp/2012/03/blog-post_05.html