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Fashion,Fine-art,and Forecast.

服飾・美術・予言






















「トーキョー・ファッション」の現在完了形(経験)――ハトラ・クロマ・バルムングに「いってきました」

 さること幾年月。ハトラとクロマ、バルムングの展示会に行った。このチョイスは恣意的である。というのも他の「トーキョーファッション」より"おもしろさ"に欠けているからである。視力の落ちてきた最近の僕にとってまだ目に優しい部類に入るがゆえに取り上げたいのだ。

 おおざっぱに括るなら「オタク系」というべきか「アキバ系」というべきだろうか。僕の世代のキーワードは「萌え」である。はじめて「萌え」という言葉を聞いたのはネットのニュースだった。ネットで流行しているオタク言葉として、オタクを自称する身でありながら他人事のように知った。いったい誰が「萌え」なんて言葉を使っているのか、周囲のオタク仲間からもそんな声が上がる中、いつのまにか、たしかにネットでもよく見るようになり、いつしかオタクの代名詞にまで昇華してしまっていた。そこはかとない疎外感、社会から挫折した者をオタクというのなら、オタクであることにすら挫折感を味合わせられた僕を、いったい何に喩えるべきか?

 大した話では無い。要は、オタクがいつの間にか「否定的なもの」から「積極的なもの」に変わったということを言いたいのだ。しかたなく、どうしようもなく、強いて言うならまぁ「オタク」かな?と名指されるものが、我々は、我こそは、まさに「オタク」であると僭称されるようになったのだ。展示会で盗み聞きした話を勝手に書かせてもらうが、ハトラの永見デザイナーが「最近はハトラがモテ服になってる」と言っていた。キモオタっぽいデザインなのに?(くれぐれも悪口ではない)これを似たような話のように聞いていた。なるほど、バッド・ステータスがいつの間にかグッド・ステータスになる現象というのはそこかしこで起こることなのだ。

 しかし誰が許せよう?この後続のグッド・ステータスに群がるニワカたちを?歴史的な継続を、オタクの遺伝子を、このニワカたちは持つのだろうか。同じレッテルを背負うはずの彼らは、我々のバッド・ステータスの嫡子なのだろうか。ただしこの問いの立て方は不正である。バッド・ステータスもこのように僭称されるならたちまちの内にグッドに転じてしまう。バッドなアウトローは背中でニヒルに語るしか無い。――よって許すしかないのだ。

 「背中で語る」と言えば、そう、「日本のアニメやキャラクターしか注目されないのは残念」とメディアで語る「服で勝負」をモットーにする山本耀司デザイナーである。オタクのステータスに浴さない氏がこうも易々と批判してのける理由は、単に外側に立つというだけでなく、外側から見るとオタク系のデザイナーがディスケードを握る「群れ」に見えているからだろう。

 一時代を築いた氏の提言から転じて、ではいったい、これら「オタク系」を「服」として見たらどうだろうか?

 

 ハトラの特徴的なデザイン、「部屋」をキーワードにするフードについて――しかしもちろんそのような「コンセプチュアル」なテーマに引きずられ判断を誤るのではなく、真実に見ることからはじめるべきだ。よって、フードについてはどうでもよい。

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hatra 2014~15秋冬コレクション | Fashionsnap.com

 基本的にハトラのデザインとは、その特徴的なフードのボリュームをどう裁くか――ではない。むしろ裁かず宙づりなままであり、2014FWでも概ねそうである。そのために起こる奇妙な男性的とも女性的とも言えないような造形は、単にバランスをとらないがために起こる――例えばカーテンや雑巾をその形でいちいち男性的とも女性的とも形容しないような、そうした"取るに足らないもの"――「オブジェ」の効果であり、ディティールそれ自体が無性的であるために言えることである。ユニセックス系(アセクシャル、ノンジェンダーほか)のデザインの大半はこの効果でしかなく、ミキオサカベもそのようなごまかしのデザインを多く使う。そうでないものはJWアンダーソンが興味深いが、関連しないため別稿に譲る。

 さて、先述では"概ね"といったがその例外が上記の1点である。わずかに斜行したジッパーに左肩から切り替え線が入っている。ここで接点からの上下がほとんど等分されるが、また一つの主要なディティールである左ポケットまでの身頃も等分される。そこで中心へと重心がかかり安定した構成となっているが身体とともに構成的であるというのではなく、身体の強さに耐えきれずエクスキューズとして引かれたものであり、いかにもオタク然としたナイーブな表象「部屋」の源泉なのである。外れつつ中心に寄る重心は他のコートやロングのパーカーも同じ特徴である。ただしこの上記の1点が優れて特徴的なのは、デザインへの意志の露呈である。それを一つの表象として「部屋」と捉えることは幾つかの中の一つの指向性でしかなく、更にその「部屋」から発展して連想をふくらませるのなら最早どのような関係もない言説へと至るが、それでもある優れた意味を造形から発露させることは十分に意義がある。

 

〈続く〉