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Fashion,Fine-art,and Forecast.

服飾・美術・予言






















「どうして変な服が必要なの?」~ポール・スミスとマティス、剛力彩芽~


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 ファッションオタクとそうでない一般人の感覚では「デザイナー」が何のためにいるのか、その答えは全く違うと思います。一般人からしたら「良い服」とはアローズ、ビームスロンハーマン、あるいはファストファッションからマルイ系までが評価の対象でしょう。ベイレンドンクやらラフなんて評価どころか理解すらしがたいものなはずです。

「ちょっと私ファッション学んじゃおっかなぁ~(音符)」なんて人が試しにパリ・コレクションを見ると恐らく絶望するでしょう。こいつら意味わからん、と。たぶんそういう体験はファオタの方々にも一度はあったかと思います。わけわからんデザイナーがわけわからんデザインの服を作って、わけわからんけれど賞賛されてるし、めっちゃ高い。
 ファオタは全てのブランドの価値がわかるわけではないものの、そんな未曾有なカオスの中に「あ、これちょっと良いかも……」みたいに大なり小なりビビッと来るものがあった人なのかなと思います。そしてそんな取っ掛かりから自分のアンテナを伸ばしていって立派なファオタに成長していくのですが、それでもやっぱり相変わらず「わけわからん服」は常にあるもので(僕にもいっぱいあります)、大人な折り合いをつけながら自分の世界把握の内側にあるものを、好んで選び取っていくのです。

 こうして深まるファオタ的なファッションの認識は、一般人と簡単には共有できなくなっていきます。ファオタが自慢のクローゼットを開けばゲストは絶句するわけです。

僕はこうしたオタク的な「この良さがわかるだろ?」的なノリが嫌いです。言語化する努力を持たないことは肯定されるべきリーズンを持たないことと同じです。

ところで、こんな中途半端な服オタ"だけ"が嫌う稀有なブランドがあります。『ポールスミス 』です。

パンピー「カラフルなストライプがおしゃれ♡」

上級服オタ「マルイに入ってるブランドで唯一ポールスミスだけがジョンロブとコラボしている、さすが大英帝国勲章だ……」

だというのに下級服オタはストライプを見るや否や親の仇のように叩きだすわけです。
でもそれってブランドタグを肯定することを180度裏返して否定の立場に立ってるだけで、やっぱりブランドタグに絡め取られてるだけじゃね?
ストライプだからって批判してるやつら、ゲルハルトリヒターも批判するわけ?

ポールスミスというブランドはモードではなく、かといってラグジュアリーでもなく、エレガンスでも、ロックでもありません。天気も頭もカラッとしたイタリア人みたいにマローネ・エ・アズーロを生み出せない、万年曇天の中で陰鬱に暮らす不器用なイギリス人のマゾヒスティックかつシニカルなオシャレ着です。

モードの服を作ることは簡単で、服のクラシックを再解釈(ダダイズム)すればいいだけですが、ポールスミスはそうではなく、あくまでも服のクラシックの範囲内で再配置(デザイン)をしているのです。それをやってしまったらモードになってしまう、という境界線、限界の中でどれだけヒネクレられるか、そんな王室伝統大好きなのにすぐジョークやパロディのネタにしてしまうちょっと照れ屋でアンビバレンツなイギリス人の心意気が見えてきませんか?

表現物には常にフレームがあります。絵画であれば額縁、彫刻なら土台、映画ならスクリーン、漫画ならコマ割り、そして服ならクラシック。

絵画において特にこのフレームに意識的なのはマティスでしょう。どんなものが描かれようと絵画そのものは既に静物です。しかしそれであってもマティスの革命的なところは枠内においてすら枠からはみ出ようとするほどの遠心力的な色の再配置、固定的にも関わらず内側で作られる動的なリズム。モダニズムとはフレームとの葛藤です。マティスはフレームを壊して彼岸に行ってしまうことなくフレームの中で格闘しているのです。しかしそんなことフレーム内で安定しているフツウの絵画を十分に見慣れて目が肥えてる熟達でないと何がすごいのかわからないでしょう。かといって何もわからないパンピーからすればただのオシャレな絵画です。ポールスミスと同じですね。絵画における最大の上級者向け、それがマティスです。

中級者にはわからないが、上級者にだけわかる女優といえば、画面のフレームとグラップラー刃牙をやってる剛力彩芽がいます。剛力ダンスしている彼女は画面というフレームの中でまるでマティス絵画のようなリズムを作り出しています。それだから矩形の写真で見ると写真そのもののバランスを脅かし、ただのアイドルやら女優やらにしか見慣れていない半端者にはブサイクに見えてしまうのでしょう。またパンピーからすればただのアイドル女優。しかし上級者からすればもっと恐ろしい、人間の顔をした映像「カット」そのものに見えるのです。特に動画で見ればわかることですが、カットの流れをコントロールする力点は常に剛力彩芽です。カメラが剛力彩芽を捉えるのではない、剛力彩芽がカメラを捉えているのです。

ポールスミスマティス剛力彩芽はたしかに一見したら「変」に映るかもしれませんが、よく見れば決してフレームを壊さずにフレームの中で格闘を繰り広げる上級者向けの表現物なのです。静止した空間内でいかに動きを作るかという課題への解答として、奇妙にも映るヒネリを加えた表現に至ったのです。フレームそのものが見えるくらい上級者になった時にこそ初めてこの良さが理解できます。なのに半端なやつらはブサイクだのゴリ押しだのと偏屈こじらせてdisってればそれで何か通ぶれると勘違いしているわけですよ。表現物のフレームが見えていない人間は、自分の認識のフレームすら見えていません。剛力彩芽の名曲『友達より大事な人』は友達というテーマでまさにこのフレーム内での格闘を歌っています。

剛力 彩芽 『友達より大事な人』 - YouTube
http://m.youtube.com/watch?v=QR6Gj0MKcew

「ねえ きみはもう友達じゃない」

「友達より大事な人」

「いつまでもそばにいてね My friend」


「友達」というフレーム内でありながら、その境界線を問いただすこと、それでいてフレームを破壊してしまうのではなくやっぱ結局はフレーム内で格闘すること、ポールスミスのクリエイションとはまさにこのようなフレームについての内在的な問いかけなのです。